誰しもなりたかったものってあると思う。
小さいときの憧れっていうやつだ。
今日は自分についてのそんな話だ。
自分は、幼少期、マジで「忍者」とか「剣客」になりたいと思ってた。
ヒーロー戦隊の表舞台系キャラじゃなくて、影に生き、裏舞台で生きてたいと真剣に思ってた。
単に影の存在だからなりたかったんじゃない。
自分の能力を常に限界状態で試してみたかっただけ。
表向き安穏と暮らし、裏では非常にシビアな駆け引きが求められるというメリハリのカタマリみたいな一生を送るのも悪くない。
実は今でもそれを想う。
だから、同世代に珍しく、時代小説やら時代劇、兵法、薬草やら忍道具に詳しかったりする。
例の武術を極めようと今でも必死なのもそのせい。
同世代と違うモノの思考をするのも、したがるのもそのせい。
隠れて血ぃ吐きたがるのもそのせい。
で、そんな小童が小学生を過ぎ、中学生くらいから何を勘違いしたのか・・・
「FBI犯罪心理捜査官」になりたい。
と以前よりはいくらか現実味のある希望職種を考えた。
所謂「プロファイラー」ってヤツだ。
当時の日本には当然そういう考え方すらなかった。
なぜか?
当時は、現在よりも体系的でなく、信憑性も格段に下位のものとされたのだ。
事件の状況、現場、犯行の手口から心理的な分析によって犯人像を特定する。
一見超能力みたいなことをしているようだが、意外と科学的であったりする。
事物の状況からヒトの特性を割り出すなんて!!
すげーとしか言えんかった。
これを、こんな仕事に携われることを考えたときのビビっという感覚が魅力というもんなんだろうか。
それからは、時代物よりも犯罪心理学の本とかを読むようになった。
大学で、人の心理とかをある程度理解でき、且つ分析じみたことができるようにみえるのは、この時に我流で荒削りではあるが、犯罪心理の勉強をしたからだ、と思う。
ただ、ここでも、現実には無理な難題があった。
今はどうか知らんが、FBI捜査官は基本的に、アメリカ国籍でないとなれないという。
それで、一気にやる気が収束した。
今なら逆に、どうにかしてなれる方法を模索するが、そのときは若気の至りで、あきらめてしまった。
反動でとくに英語の勉強をしなくなった。
それほどに当時の自分には「国籍」という肩書きが何よりも重厚な鉄の壁に感じられたのだ。
最初に精神的に挫折を感じたのがこの「壁」についてだった。
結局、それがめぐりめぐって今の「やりたい仕事」がある。
現在のところ、これらの夢(っていうのかな)を持っててよかったと思うことが多い。
今でも隙あらばなりたいが・・・
過去の自分がなければ、今の自分はない。
結局、生き方は昔から変わらないし、人生の選択の仕方も変わらない。
変わったのは、思考の一部にちょっとの現実味が加わったこと。
それでも・・・・
俺は俺の道を往く。